最近、ブログのネタにはこと欠かないのですが、どうも小粒のネタばかりなので面白くない。なにやら前原氏が在日の焼肉屋のおばちゃんからの献金がばれて辞任をしたとか。
別に前原氏が辞任をしようが菅直人氏が発狂しようがどうでもいい話でして、現実に大勢には影響がなくって、すでに国会議員の頭の中には次の総理を誰にするのかが一番の重要課題のようだ。
この春には統一地方選が行われる事から、国会議員の先生たちは地盤固めに躍起になっていて「どうしたら選挙を有利に進められるか」が最大の関心事と言ってもいいだろう。
そんな中で前原氏の辞任がどのように影響するかなんて考えたところで、せんない話でしかないし、そもそも毎年5万円の寄付をしてくれる後援者がどのレベルの地位なのかは選挙に少々詳しい方であればお分かりにはずである。
しかし、前原氏の後援会も受難続きで・・・。かなり怨まれているのであろうか。これを天罰とでも言うのだろうか?
まぁ~、そんなヨタ話はここいらでやめてブログの本題に入ります。今日のブログタイトル「世の中には、返事のできないこともある」について少々。
最近、フリージャーナリストとよばれる方々が元気である。そもそも今までは記者クラブなるものの存在に阻まれて、フリージャーナリストと呼ばれている方たちが記者会見で質問をする機会もなければ記者会見にすら参加することが難しかった。
ようやく民主党政権になり一部の大臣たちが記者会見のオープン化に踏み切り、今後の展開に期待を持たせてくれていたのだが、菅政権になったと同時にクローズ状態。結果、「自由報道協会」が設立され、どうにかフリージャーナリストの意地を見た思いである。
西松事件勃発時の民主党の代表であった小沢氏への大手既存メディアの執拗な質問攻撃や、小沢氏の発言を一部分だけ切りとっての報道。そして、悪意を持って使用される写真にホトホト粘着質なマスコミの体質に嫌気がさした。結果既存の大手マスメディアにプラスの効果をもたらしたかと言うとこれはまったく逆のマイナスとしか働かなかったように思えてならない。
今まで記者クラブが主催の記者会見では、「返事のできないこと」を意図的に質問をしたりしなかったりで会見の模様を見ていても「出来レースではなかろうか」と思える場面にも多く出くわし結局は「つまらない」・「興味が湧かない」記者会見のオンパレードであった。
それが最近では、大手既存のマスメディアが主催する記者会見よりフリージャーナリストの「自由報道協会」の記者会見を見ている方が増えてきているという事実からも「闊達な質問をする」ことによって質問をされる側も「返事のできないこと」に対するアレルギーが減ってきたのではなかろうかとさえ思えてきだした。
今までのように会見の一部分だけを切り抜いて取り上げても、前後の話の流れも正確に伝わる事から、質問をされている側も質問をしている側も会見の内容を加工をすることが愚にも付かぬ行為であることを認識しだした結果であろうと自分は思っている。
「返事のできないこと」を質問をして相手を立ち往生させ「鬼の首」でもとったような錯覚に陥っていた今までのマスコミの記者会見より、少しでも相手に話をさせ言葉を引き出す事の重要性に視聴者も気が付きだしたと思う。
「返事ができない」ような質問を浴びせる行為は所詮「言葉の勝ち負け」でしかなくジャーナリスト本来の仕事ではないはずである。
「世の中には、返事ができないこと」も確かに存在し、多くの場合は「隠しだて」と捉えられ場合によっては「犯罪事実」とされかねない。ようは、嫁さんにしっかり返事をしないと「浮気」をしていると嫌疑をかけられるのと同じ状態に陥ってしまう。つまり今までのマスコミは、「ありもしない浮気の嫌疑」を騒ぎ立てるくだらない存在でしかなかったのだろう。こんな大手既存マスコミの記事に踊る愚に気が付かねばならない時期にさしかかっているのだろうと自分は思っている。
しかし、「自由報道協会」の記者会見を記事にしている既存の大手マスメディアの記事を読むたびに、「事実を正確に伝える能力が欠落している」と感じるのは自分だけだろうか?
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by unimaro
まったく、くだらない話