まずは、そのコラムを転記をいたします。
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不思議の国・日本の最大の不思議は、確固たる宗教観を持たない日本人が、キリスト教を受け付けなかったという一点である。人口に占めるキリスト教の割合が1%にも満たない、という現象は、世界レベルで見ても、異常な事態なのである。
日本でキリスト教が布教活動をしなかったわけではない。「非キリスト教世界」で、これほど多くのミッション系の学校(立教大学や青山学院大学など)があるのは日本だけであろう。
キリスト教の学校に学び、クリスマスに浮かれる日本人が、なぜキリスト教に無関心なのであろう。
この謎は、実に多くの示唆をわれわれに与えてくれているように思われる。
まず、世界史を理解するためには、「キリスト教」の本質を知る必要がある。
第二次世界大戦も、今日の世界情勢も、キリスト教の発想を当てはめれば、多くの謎が面白いように解けてくるからだ。
キリスト教徒に課せられた「義務」は、キリストの教えを広め、すべての人々をキリスト教の「高みに導く」ということである。キリストこそが絶対の真理であり、文明の証だから、と彼らは考える。
そのために、彼らは「野蛮人」に恵みを施し、手を差し伸べる。その逆に、キリスト教に逆らうものは、徹底的に叩き潰す。彼らが世界中を植民地にしてしまい、その過去を微塵も反省していないのは、「キリスト教の正義」という大義名分があったからである。
それはともかく、アメリカにとって日本は「異教徒の国」であり、第二次世界大戦後の日本をキリストの教えで導いた結果、日本は発展したわけである。だからこそ、「真の文明国(キリスト教世界)」=アメリカを、「異教徒の国」が追い抜いてはならなかったのである。
追い抜かれそうになったとき、アメリカはその理由を探し当てた。異教徒がキリスト教を凌駕しそうなのは、「システム、約束事に欠陥や不公平」があったに他ならないというのである。
たとえばこれは、ジャンプ競技で日本人が勝ち続けると、「規則に欠陥があったのだと」してルールを変えてくるのと同じ論理である。
柔道で白い柔道着に色をつけてしまうのは、キリスト教のルールこそが普遍性をもっているのであって、日本の伝統は無視してもかまわないからなのである。逆に日本がキリスト教の伝統を否定すれば、総スカンを食らうことは目に見えている。
もちろんこれは極論であり、目くじらを立てる必要はない。キリスト教が独善の宗教であるという事実を知っていれば、いろいろなことが見えてくるというお話である。
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この作者は、最後に一神教と多神教の違いであると述べてここで書くのを終えている。
そもそも日本人は「あいまい」だと言われている。この「曖昧」な気質は、世界中よく知られている事であるが、この基本的な部分に多神教という部分が大きく影響をしていると思う。
日本では、山や巨石・巨岩・巨木を神とみなして祀り普通に手を合わせる。また神社でも色々な神を祀っている。八百万の神と言われても日本では、何の違和感もない方が多いと思う。この神を祀る神道は、縄文的発想からであるとされているのである。
ところが、この神道と仏教は6世紀に争いが起きているのである。それも物部守屋と蘇我馬子の間で起きた権力闘争から、しまいには武力闘争へとまで発展をしたのである。結果はご存知のとおり仏教推進の蘇我馬子の勝利で終わっているのであるが、神道が駆逐をされたわけではなく、不思議なことに同化をしているのである。
「神様仏様」や「神も仏もない」と言う言葉が普通に出てくるのである。つまり日本には神様も仏様も存在をし神様にいたっては八百万も存在をするのである。これは、一神教である「キリスト教から見れば信じられないことであり、教義も経典もない原始的な宗教ということになってしまうようだ。
つまり、キリスト教徒には、唯一の絶対神が存在するのだが、多神教の日本には絶対神がいないということになるのである。ところが、多神教であるがゆえに、唯一絶対正義という発想自体が芽生え辛いのであろうと自分は思っている。
事業仕分けの様子をみていて、違和感を感じるのは正義を振りかざされるのになれていないのか、それとも別の部分で危険を感じているのかは、今の時点では結果はまだ見えてこない。
小沢氏の会見で「成仏するのは仏教だけ」というのは、ある意味では正しいと思う。日本の天台宗でも「八宗兼学」・「円密禅戒」のように、あらゆる仏教の宗派もあわせ学ぶこととされているのである。つまり、お山では各宗派を総括して学ぶように教えているわけである。
キリスト教があまり普及をしなかった理由も本当はあるのだが、今日は書くのをやめておきます。
「成仏するのは仏教だけ」小沢幹事長、改めて文明観披露
2009年11月17日2時9分
http://www.asahi.com/politics/update/1116/TKY200911160351.html
民主党の小沢一郎幹事長が16日の記者会見で、仏教観と文明観を改めて披露した。
10日に和歌山県の高野山金剛峯寺を訪れた際に、キリスト教を「排他的」「独善的」と指摘。これに対し、「日本キリスト教連合会」が「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と抗議文を送っている。
これを受けて小沢氏は16日、「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」と説明。さらに、エベレストに挑んだ登山家の「そこに山があるから」という発言を引用し「西洋文明は自然も人間のために存在する考え方。(エベレストの)地元では霊峰としてあがめられて、征服しようという考え方はアジア人にはほとんどない」と語り、西洋思想は人間中心だが、東洋思想は人間が自然の一部だと強調。最後は「僕も君も、死にゃ仏になれるんだ、だから」と締めくくった。
「文明論言っただけ」=キリスト教発言で説明-民主・小沢氏
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009111600901
「宗教論と文明論を言っただけだ」。民主党の小沢一郎幹事長は16日の記者会見で、「キリスト教は独善的」とした自らの発言について、こう説明した。
小沢氏は10日に和歌山県高野町の寺院「金剛峯寺」を訪れた際、記者団に「キリスト教文明は行き詰まっている。非常に排他的で独善的な宗教だ」と発言。日本キリスト教連合会(山北宣久委員長)は11日付で抗議文を小沢氏に送付、「見識を深く疑う」と批判した。
小沢氏は会見で「東洋は、人類は悠久なる自然の中の一つの営みというとらえ方だが、西洋文明は人間が霊長類として最高の存在という考え方だ」と指摘。「(和歌山では)根本的な宗教、哲学と人生観の違いを述べた」と語った。 (2009/11/16-21:21)
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小沢氏の記者会見(仏教の話は産経の質問に答えたもの)
http://asx.pod.tv/dpj/free/2009/20091116ozawa_v300.asx
しかし、朝日新聞は3人も質問をしていたのだが、一社一回の質問にして、多くの社に質問をさせた方が公平じゃないのかな?
朝日は何様のつもり何だろう?
しかし、言葉尻を捉えて記事を書いているとそのうちマスコミ自身が墓穴を掘ることになりそうな(笑


by himajin321q
まったく、くだらない話