産経の口からこのような言葉を聞くとは思わなかった。
産経が今までは、「どうも自民党に都合の良い、統計数字を出していた感じがしていた」自分にとっては「言わずもがな」である。
とうとう産経も泣きが入ったのだろうか(笑
それとも、ネガキャンの心算なのだろうか。
まぁ~、どちらでもいいのだが、今まで産経の書いてきた記事を他社の記事と読み比べると明らかに異様な感じがする。
もっとも産経の記事しか読まないのであれば、それはそれなりに読者に産経の意図とする考えを植えつけられるだろう。
しかし、あまりにも産経は今までの記事内容が偏りすぎていたと自分は思っている。ツイーターでの問題が起きた時に「不偏不党」という言葉を出した。
本来であるならば、産経は不偏不党ではなかったということを反省をしなければならないはずであったと思う。ゆえに、「他が公平ではない」と言うのは、あまりにもずうずしく感じてしまうの何故であろうか。おそらく、産経の報道姿勢に、いまだ不偏不党の精神が見えないからであろうか。
「どうも新政権に都合の良い、PRめいた統計のような感じもする。」この言葉と同じことを読者に今まで与え続けた産経の罪は軽くはない。
【最近 お金事情】政府統計の整理・改善を
2009/10/28 11:39
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/317859/
また新たな統計が出てきた。「貧困率」というもので、全国民のなかで低所得で生活に苦しむ人の割合を示すという。先進国で構成する経済協力開発機構(OECD)の基準で算出するが、どうも新政権に都合の良い、PRめいた統計のような感じもする。
貧困率は、長妻昭厚生労働相(49)の指示で、厚労省が「国民生活基礎調査」の既存データを使い政府として初めて算出、公表した。貧困率とは、国家内の所得格差を表す指標の1つで、今回の指標は正確には「相対的貧困率」といい、全人口の可処分所得(所得-各種税金・社会保険料)をある計算方法で統計処理して、その中央値以下の所得しかない人の割合。OECDの算出方式で計算したものだが、一般にはわかりにくい統計だ。
■統計大国・日本
発表によると、2007年の貧困率は15.7%で、およそ7人に1人が“貧困”となる。この所得中央値は、1人当たり年間228万円だった。18歳未満の子供貧困率も算出していてこちらは14.2%。
1998年までさかのぼり、3年に1度の間隔で算出した。それによると、貧困率は98年14.6%→2001年15.3%→04年14.9%となった。グラフにすると、上がって(悪化)、下がって(改善)、また上がった、となる。しかもこの10年間で最悪の水準になった。ちなみに、2000年代半ばでOECD加盟30カ国の平均は10.6%で、日本は貧困率の高い方から4番目になるという。この数値の公表に際して、長妻厚労相は「子ども手当などの政策を実行し、数値を改善していきたい」と述べている。
政府が公表する経済関係の統計は、国内総生産(GDP)から始まって、法人企業統計、鉱工業生産、各種商業統計、家計調査、各種雇用統計などあげればきりがないほどある。また、日銀の企業短期経済観測(短観)など数値動向に大きな意味をもつ公的統計も少なくない。いってみれば、日本は“統計大国”である。政府は経済運営において、相当数のセンサーをもっている。だとすれば、政権交代があったとしても適宜適切なハンドルさばきが可能なはずだ。
■脱官僚の一環
しかし、各種統計は各省庁が既得権益として、一度始めたら、調査費などが毎年予算化され、必要性が薄れても止めることはない。とくに経済官庁は、似たような調査・統計も多く、行財政改革の一環として、整理統合問題も持ち上がってきている。自民党前政権は、04年に既存統計の抜本見直しを掲げて、内閣府に経済社会統計整備推進委員会を設置、翌05年に「政府統計の構造改革に向けて」という報告をまとめている。
そこでは「国家の存するところ統計あり」という19世紀フランスの統計学者モーリス・ブロックの有名な言葉を引用して、統計は国の政策や行政の企画立案などの基礎情報となり、また情報は国民共有のものだとし、学術研究においても重要な意味をもつとその役割をうたっている。だが、現代はIT(情報技術)産業の飛躍的な進展など日本の産業構造も大変化を見せており、統計の改善は「基礎事業中の基礎事業である」と意義付けている。
その後、前政権下では具体的な改革策は出てきていない。そこで「脱官僚を目指す」という現政権が、一応安定軌道に乗ってから同様な問題意識で改革がなされると期待される。だが、マニフェスト(政権公約)の細部までこだわりを持とうとする“執着性”が強いと、そのための新たな調査・統計をつくり出していく可能性がある。そうではなくまず、各種統計の「選択と集中」を行い、併せて時代の変化に対応できる統計の整備・改善を進めていくことが筋道だろう。
(編集委員 小林隆太郎/SANKEI EXPRESS)
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さてと、ここから記事の内容に入ろう。
また新たな統計が出てきた。「貧困率」というもので、云々から始まり、「どうも新政権に都合の良い、PRめいた統計のような感じもする。」で前書きが終わっている。
ようは、編集委員・小林隆太郎の言いたい本音は、この部分であろうか。
「子ども手当などの政策を実行」をしたいので、民主党の長妻は、都合のいい数字を出してきたのだと。
それを言いたいがために、ぐちゃぐちゃと長ったらしい作文を書いたのであろう。
「OECDの算出方式で計算したものだが、一般にはわかりにくい統計だ。」と書いてあるのだが記者としての能力を疑う。なぜなら、記者は会見に出席をして、詳しい内容は質問ができる。つまり詳しく質問もしないで「わかりにくい」と書く。
よしんば聞いたとしても「わかりにくい」のではなく、記者が理解できていないのである。もしくは、知っていながら伝えていないということである。もし理解ができていたのであれば読者にわかり易く記事にして説明をしたら済むことである。
次に記事では数字を載せている。
その項の最後に、「日本は“統計大国”である。政府は経済運営において、相当数のセンサーをもっている。だとすれば、政権交代があったとしても適宜適切なハンドルさばきが可能なはずだ。」としている。
しかし、貧困率という言葉はこのたび発表をされて初めて知った方も少なくはない。これは小林隆太郎の驕りであろう。同時に貧困率を表に出してほしくないという意識が働いたからだろうか?
昨年末の派遣村で、自民党政権に対して一斉に非難の目が向い始めたというトラウマなのだろうか?
笑えたのは、「脱官僚の一環」という部分である。
各種統計は各省庁が既得権益として、一度始めたら、調査費などが毎年予算化され、必要性が薄れても止めることはない。とくに経済官庁は、似たような調査・統計も多く、行財政改革の一環として、整理統合問題も持ち上がってきている。自民党前政権は、04年に既存統計の抜本見直しを掲げて、内閣府に経済社会統計整備推進委員会を設置、翌05年に「政府統計の構造改革に向けて」という報告をまとめている。
この部分には、思わず飲んでいたコーヒーをふいてしまった。
04年に既存統計の抜本見直しを掲げ、それから5年。つまり、口先だけで5年間過ごしてきたということである。その5年間政権を運営をしていたのは誰であったのか大きな声で口に出して言ってみたらいい。
その政党を応援をし、偏向記事を書いてきたのはどこの誰あろう産経ではないか。
統計の必要性を認めながらも、やんわりと現状の統計の種類を否定をしていて、いっけんマトモそうに書かれた記事も読みようによっては、書き手の意図が透けて見える思いである。
しかし、あの手この手で罠を仕掛けるものである。
「マニフェスト(政権公約)の細部までこだわりを持とうとする“執着性”が強いと、そのための新たな調査・統計をつくり出していく可能性がある。」と最後の書かれているのであるが、これを間に受けてマニフェストの一部でも実行をしなかったらそれこそ「公約違反だ!」と大騒ぎをして記事として書くのであろう。
「時代の変化に対応できる統計の整備・改善を進めていくことが筋道だろう。」書く産経の記者に一言申し上げたい。
「時代の変化に対応ができる記者の育成と社内改革が産経には急務であろうし、それが道筋であろう」と。


by himajin321q
まったく、くだらない話